いもので、もう年末です。皆様、いかがお過ごしでしょうか?

 

僕は友人宅での餅つきにお呼ばれしたくらいで、それ以外は自宅でのんびりと過ごしていました。今日も近所のスーパーで年越しの買い物をし、ちょっと掃除をしたくらいで一日終わりです。

 

毎年実家に戻って過ごしていたので、一人、借り家で過ごす年越しは初めてなのですが...普段はやらない料理をしたり、壊れていた持ち物の修理をしたりしてけっこう楽しく過ごせています。

 

今年を振り返ると...コロナ禍で自宅にこもりきりになり、飲みにも行けず、相変わらず恋人もできていませんけれど...それでも車を購入し、時計を購入し、旅行に行き、美しい景色を見、友人と過ごして、温泉を楽しみ、ワイワイとAPEXをプレイしたり...時間に余裕ができて、関係が薄れがちだった友人たちと時間を過ごせて...なんだか例年よりは楽しめた一年だったかな?と思っています。いろいろ考える時間も多かったですし、あとはxxxができたり、yyyをしたり。

(xxx,yyyの内容については個別にお問い合わせください)

 

ところで、餅つきというと杵と臼ですが、幼いころ母が読み聞かせてくれた本に杵と臼が....

 

.........長くなりそうなので、また来年にします。

 

2020年度中は大変お世話になりました。皆様、よいお年をお迎えください。

日記

ログを始めて以来、まともな日記らしい日記を書いていませんでした。

 

たまにはブログらしく、近況を書いていきたいと思います。

 

◆車購入

車を購入しました。アルファ ロメオです。

故障は多いですが、それ以上に楽しい車です。

灰皿を購入したので車内で一本吸ったら、一瞬で車内が風俗店の待合室の匂いになって最悪でした。

 

◆時計購入

Twitterのほうにも書いたのですが、また時計を購入しました。(殺してくれ)

通算5本目になるロレックスです。

リファレンスは16200。ギザギザベゼルがないデイトジャストですね。

アラビアインデックス・彫りコンピュータ文字盤(アイボリー)の組み合わせを探していたので時間がかかりました。

 

f:id:rosa_ko:20201021003145j:plain

 

拾い画像ですがこんな感じです。

今まで買ってきたのがミルガウス/デイトジャスト116200(ブラックローマン)/オイスタークォーツコンビブラック/エクスプローラー2(黒) ...と、黒文字盤ばっかりだったので白文字盤は新鮮です。

 

今回は「おじいちゃんのロレックス」をテーマにいろいろカスタムしようかなと思っています。具体的には今のステンレスブレスレットを革ベルトに付け替え、尾錠をロレックス純正品に差し替え、本体とステンブレスをPVD加工...とかやりたいです。

 

いくらかかるんでしょう...

 

◆仕事

死ぬほど暇です。まだ在宅です。

 

起きて泥のような状態でPC起動→二度寝→夕方に起きる→22時くらいまで仕事→酒飲んで4時ごろ就寝→泥のような状態で9時起床

 

というような毎日を過ごしています。アフターコロナの世界で生きていける気がしません。

 

◆体調面

眠れない日が続いています。布団に入っても2,3時間くらいは寝付けずぐだぐだしちゃう感じ。

特にメンタル面でダメージを負っているつもりはないのですが...

(上記の通り、今の仕事は死ぬほど楽です)

 

在宅で閉じこもりっぱなしなのが関係しているんでしょうか。

医者に相談すると大体メンタル・クリニック(睡眠科?今はお医者さんも細分化しているんですね) で薬を処方されることを勧められるのですが、原因もわからないのにクリニックで薬をもらうというのに抵抗感があって受診はしていません。

 

ただ、今の眠れない状況もよくないことは自覚しているので、睡眠改善薬(薬局とかで売ってるやつ) を使っています。あんまり効かないですが...お酒で流し込んで無理くり寝ています。あんまりよくない習慣ですね...せめてお酒を減らさないとなあと思っています。

 

飲んで一時間くらいすると眠気がきて、寝付きは非常に良いのですが...

困ったことに寝起きも強烈に眠くなるため、朝が非常につらくなります。

 

 

あとは長年慢性的な腹痛に悩まされていたのですが、たぶん牛乳が原因ってことがわかりました。乳糖不耐症?とかいう体質らしいです。牛乳の成分が分解できずおなか下す、的な。思えば小学校の頃、お腹を壊すのは決まって給食の牛乳を飲んだ午後でした。

 

◆私生活

同期が東京から訪ねてきました。

色々話せて楽しかったです。(小学生以下の感想)

 

友人が福井から訪ねてきました。

訪ねてきたっていうか僕が迎えに行って名古屋に連れてきたんですが。

楽しかったです。(小学生以下の感想)

 

学生時代の友人がお母様と一緒に名古屋を訪ねてくれました。

久々に会ったのですが、楽しい時間を過ごせました。

 

わかりにくいですが上記の3人はそれぞれ別の人です。

 

◆アニメ・ゲーム

色々と手を出しています。

今期は話題作が多いみたいで、ここ2年ほどアニメは見ていなかったのですが今期はいろいろ見ようと思っています。

ハナヤマタが好きなので、同じ作者の落ちこぼれフルーツタルトが気になっています。

閃光のハサウェイの映画はそろそろでしたか?

 

ゲームもいろいろと。ガンダムシリーズカバカーリーが参戦するようで今から楽しみにしています。あとはFPSがうまくなりたいなあと思っています。

 

◆精神面

余り張り合いのない毎日です。

上記の通り仕事は平坦、時計も車も買ってしまったので欲しいものもありません。

ぼんやりした虚無感に包まれながら、どこかふわっとした毎日を送っています。

Go Toを利用して、旅行にでも行ってみようかなあと思案しています。

 

 

 

なんだかとりとめもない日記になってしまいました。

G.U

ラダを着た悪魔 という映画を見たことがあるでしょうか。有名なタイトルなので表題は聞いたことがある、という方も多いと思います。

胸のすくようなアクション・シーンはないのですが、メリル・ストリープの演技が真に迫っていて僕は好きな作品です。ババア(失礼)がかっこいいストーリー、好きなんですよね。

 

これは女性ファッション誌に携わるジャーナリストを描いた映画で、作中には様々なファッション・ブランドが登場します。表題にあるプラダ/最近よく聞くD&G/ジミー・チュウ/ヴィヴィアン・ウェストウッド/シャネル/エルメス/etc…僕には縁のないブランドがズラリですが。

 

映画に描かれる華やかな世界を見た後に、自分の服装を見るとため息が出るばかりです。

今着ているのも高校の頃のジャージにどこで買ったのかすら覚えていないポロシャツですし、普段着用している服もH&M/G.U/ユニクロ…つま先からてっぺんまでファストファッションがてんこ盛りです。仮に明日「ランウェイ(作中に出てくる女性誌)」の面接を受けられることになったとしても、メリル・ストリープに会うことすら叶わないでしょう。

 

しかし、自慢ではありませんが僕はそれなりにファッションのセンス(知識ではない)は持っていると自負しています。

かつては月1でファッション誌を購読していましたし、いまでも毎週末は都会に出かけ(やることがないので)ウィンドウショッピングをしているので、世間一般との間に大幅なファッションの乖離はない、はずです。

 

にも拘らず、いったいなぜ僕はド派手な花柄があしらわれたシャツを買ったり、10万円近い金額をかけて裏地が真っ赤なスーツを作ってしまったり、胎盤よりも真っ赤な色のダウンジャケットを購入したりしてしまうのでしょうか。前世は闘牛か何かなのでしょうか。さぞ弱い牛だったことでしょう。

 

思うに、一つの理由として買い物をするとき、あまりにも自由過ぎることがあると思います。

僕は独り身で、住んでいる土地には友人もごく少ないので、大抵の買い物は一人で済ませます。そうなると店選びから品物選びまで全ての選択権は自分にあるわけですね。

勤労を美徳とし、倹約家で目立つことを好まなかった父に厳しく育てられた反動で、僕は「何物もデカくて派手であればあるほどよい」 と思っているフシがあるため、その場にあるうち最も派手で巨大なものに吸い寄せられる習性があります。そうなると大体は地域で一番デカいファッションビルとか、最もギラギラしているブランド店舗なんかに吸い寄せられるように入ってしまい、店員の美人さんにノセられて、上にあげたような異常な品物(しかも、大体クソ高い)を購入してしまうわけですね。自由さは罪です。

 

ところで、話が変わりますが僕はいわゆる「ヒッピー」的な思想が苦手です。

はっきり嫌いと言ってもいいかもしれません。

一口にヒッピー的とまとめるのはあまりにも雑な分類ですが、ここで指しているのは...

端的に言えば以下のような文言に示される精神性です。

 

「あなたがそれをしなければならないとき、あなたがそれを望むとき、いつでもあなた自身のことをしましょう。 すでに、あなたが知っているように、ドロップアウトし、 社会を離れてみる。完全に身をまかせてみる。 あなたのまわりにいるまっすぐな人の心を吹き飛ばしちゃいましょう。 それはドラッグによってではなく、美しさ、愛、正直、楽しさによって―」(wikipedia「ヒッピー」の項目より抜粋)

 

なんとなく理解してもらえたでしょうか。文章としてきっちり表現することができないのがもどかしいのですが。

ドロップアウト、社会から離れてみる」のは個々人の自由だと思いますし(僕もいずれそちら側に行くことでしょう)、「美しさ、愛、楽しさ」を重視するのも人生において大切なことだと思います。

ただ、それで「まっすぐな人の心を吹き飛ばしちゃいましょう」ってあたりが気に食わないんだと思います。

 

持論になってしまうのですが、人間の本質/美しさとは苦境に必死に耐える姿、現状を変えようともがく所にこそあると思うんですね。
欲しいものは手に入れるまでが一番楽しい、って経験はありませんか?悲惨な過去をTwitterで面白おかしく語っていいね稼ぎをしたことは?大炎上したプロジェクトを何とか終わらせて、メンバーと後で笑い話にしたことはない?振り返ってみれば受験勉強、結構楽しかったりしませんでしたか?職場をクビになって明日に怯えながら日々を過ごした経験は?

前の日記でも似たようなことを書きましたが。
ともかく、人間の本質とは苦境の中でこそ輝くもので、一概に回避すべきものではないと思うのです。なので、そういった苦境を回避(あえて「逃避」とは言いませんが)して自分たちの世界観を至上とする考え方とは相容れないなあ、と感じているのでしょう。

そういうわけで、賛同者の間だけで楽しむならまだしも「美しさ、愛、楽しさ」で「まっすぐな人の心を吹き飛ばしちゃいましょう」なんてのは大きなお世話だと思うのですね。



かつ、ヒッピー的な価値観の人はサブカルチャー/マイナーカルチャー(まともな友人がいる人間はまず知らない文化)に傾倒している傾向があって...そう言った方の「美しさ、楽しさ」はパッと理解し難いものである確率が高く、もはや理解できない何かの押し付けを食らっている気分になるわけです。宗教の勧誘に近いものを感じる。

 

もちろんこのご時世、そこまで押しの強い人はそうそういるものではないですが。

しかし、本人たちが意図しなくともこちら側がそういった押し付けを受け取ることはSNS社会ではよくある話で...残業上がりにtwitterを見ていたら、何処の馬の骨とも知れない大学生の「〇〇で優勝したことないやつありえん笑」(〇〇にはヴィレッジバンガードで見つけた適当な商品名を入力してください)なんてRTがマッシュくん/金髪ボブのロンスカちゃんの自撮り付きで回ってきたところを想像してください。
ちょっとイラつきませんか?僕はかなりイラつきます。

 

要は自分たちの世界こそが素晴らしいものだ、という妄信と、それを周囲にアピールする行為が気に食わないわけですね。書いていてすっきりしました。

オプザイルとかにも似たようなことが言えます。
まあ同じことはアニメオタクにも全くそのまま当てはまるので、人の振り見て我が振り直せ...でもあるんですけど。

・・・ところで、ヒッピーに特徴的な文化として、一つファッションが挙げられます。
男性の長髪なんかは有名ですが、より現代風なところとしては...

 

www.mine-3m.com

 

>ヒッピーファッションを簡単に完成させるなら、目を惹く「柄物アイテム」を投入するのがおすすめ。自然を感じさせる”花柄”、個性をアピールできる”タイダイ染め”や”サイケデリック柄”を使っておしゃれコーデを目指して。

 

>>ヒッピーファッションを簡単に完成させるなら、目を惹く「柄物アイテム」を投入するのがおすすめ

 

実はヒッピーだったのかもしれません。僕。

で空を飛ぶことは人類にとって憧れ、尽きぬ欲求であり、浪漫であり続けてきました。

幼少の砌に空を飛べるようになりたい、と空想していた人も多いのではないでしょうか。

 

航空の歴史というものは意外と古いもので、実用化こそ1700年代と近代に入ってからのことですが、試みとしては800年代ごろから手製のハング・グライダーで飛ぼうとした研究者がいたみたいです。(wiki調べ)

 

何に着想を得て800年代(涼宮ハルヒの憂鬱灼眼のシャナゼロの使い魔などが放送されていた年代です)にハング・グライダーを開発したのか、詳細なところは不明ですが、鳥を模した翼を用いて人が飛ぶ、それ自体は紀元前の頃から御伽噺として伝えられてきたものでした。

 

代表的な物語としてはギリシャ神話の「イカロス」 でしょう。知らない方はいないと思いますが、監獄にとらわれた父子が翼を作って飛行することで脱出する。父・ダイダロスは息子イカロスに高度を上げすぎてはならないと忠告するも、自身の能力を過信したイカロスは太陽に近づきすぎて翼に用いられていた蝋が解け落ち、墜落死するという内容です。

 

紀元前の時代(デジモンアドベンチャーなどが放送されていた年代) に単独飛行を可能とするほどの高いレベルで物理学・空気力学・材料力学に精通していた人物が太陽に近づき過ぎて死ぬというのは考えにくいのですが、まあイカロスなりの理由があったことでしょう。設計は全部父親に外注していたので自分は全く関与していなかった とか、初めて空を飛べてドバドバドーパミンの延々エンドルフィン状態でガンギマっていた とか、監獄を脱出できて早くアテネの風俗店に行きたくて仕方なかった とか。

 

イカロスの物語はある種半面教師的な語られ方をされており、だいたいの教訓としては「過信は愚かしいことである」「過ぎたるは及ばざるがごとし」「中庸」みたいなところに集約されると思いますが、しかし、より高く高く飛ぼうとした彼の態度は批判されるべきなのでしょうか。

 

動物とは本能的に欲求を持ち合わせており、大抵の動物は食欲・睡眠欲・性欲が満たされればそこで満足するものですが、人間は三大欲求という低いレベルから承認願望のような複雑なレベルのものまで様々なレベルの欲求を合わせ持っており、その欲求を満たすために他種とは段違いのスピードで進化を遂げてきた生物です。

 

「より早く」「より美味しく」「より暖かく」 etc....欲が満たされたということに満足せず、より高いレベルでそれぞれの欲求を満たせるように探求を続けた結果として火を見出し、料理文化を発展させ、産業革命が起き、電気を作り出しました。

 

これは一個人という観点でも当てはまり、例えば男性はより高いレベルで(あえて数・質という表現はしませんが) 性欲を満たすために自分磨きを行い、承認願望を満たしまた他種の欲求を高いレベルで叶えるために仕事に打ち込むわけです。


ここで進化論について論じるつもりはないのですが、つまるところ欲望というものは人類史の発展の原動力の一つ、と言っても差し支えはないんじゃないかなと思っています。

 

ところが現代において欲というものは往々にして悪と語られるケースが多く、熟語をとっても愛欲/強欲/私利私欲…等々、欲が絡む言葉でいい言葉はあまりありません。

また、宗教の観点で見てみても欲を良しとする宗派はほぼなく、大体の教義において欲は打ち勝つべき悪で描かれ、人を惑わせるものとして語られています。

 

ここで根本的に欲が克服された世界というものを考えてみましょう。

恐らく文明の発展など到底望めず、僕はいまだにそこらの洞窟に住んでいて(寝れればいい)、拾った木の実を手掴みで食べ(食べられればいい)、飼っている牝牛とセックスをして(セックスできればいい)  車は軽自動車で燃料はディーゼル、スーツはAOKIで私服はWEGO、お気に入りのサイトはニコニコ動画で好きなアニメはSAOでしょう。確実にAPEX Legendsをプレイしているはずです。
これが悪夢でなくて何なのでしょうか。

 

欲を失ったとき、つまり「まあこんなもんかな」と思った瞬間に個人の発展性は失われ、停滞が生まれ、妥協へとつながり、ただ現状維持をしていくことが目的となって...しかし、これでは他種の動物と何が違うのでしょうか。「社畜」なんて言葉をいまだに耳にしますが、当人が現状を受け入れ、何の欲求も持っていないのであればあながち間違った表現でもないと思います。まあ大体のケースは欲求がない訳じゃなく、金銭面がチンチン過ぎて叶えられないとか働き過ぎて鬱病なりかけ、欲求バイバイってケースが多い気もしますが。

 

航空の歴史をさかのぼっても、当初はハンググライダ=人が飛行能力を獲得する、が目的だったわけですが、どこかのタイミングで飛行機=人を乗せた機械を飛ばす、が航空の主流となって以来飛行技術の発展は頭打ちとなって、結局人は自らの翼を手に入れることに成功していません。(もちろんハンググライダーの技術は発達しているのでしょうけど) 歴史のどこかで「別にオレたちが飛べなくても乗り物が飛べたらよくね?」って考えた人がいたんでしょうね。恐らく愛車はプリウス(二代目、中古、10年落ち、ブラック、走行距離10万キロ)だと思います。

 

話を戻しましょう。
僕が最近危機感を覚えるのは、上記で生まれた停滞はその実、現状維持になってはいないのではないかという点です。

当然ながら人間社会はミニマリスト/無欲主義者/宗教家/インポ/原始人/草食主義者/APEXプレイヤー/etc...だけで成り立っているわけではないので、日々技術革新が生まれ進歩しています。

さらに僕たちは精神的にも肉体的にも老化していくため、現状維持をしているつもりが気付けば自分が思っていたよりもはるか下に来てしまった、という状況が容易に生まれ得ます。

なので一概に中庸を是とするのはむしろ危うく、欲を叶えるために努力し続けるという姿勢が大事なのではないかなと思うわけです。

 

ところでイカロスの伝記にはあまり知られていない部分があって、ダイダロスイカロスに「海面に近づき過ぎてもいけない。高い湿度がお前の羽を溶かしてしまう」という忠告もしていた、ようです。 

 

いい位置を維持していたはずがいつの間にか海面スレスレ、なんて状況は避けたいものですね。

 

 

 

 

ここで突拍子もない告白をしますが、僕は今のところ1年に1~2本のペースで高級時計(大体同じブランド、同じ価格帯)を購入しています。金銭的な余裕や計画性があるわけでは全くなく、ただ自身の欲求を満たすための行為なのですが、果たして購入するまでのプロセスを含めた一連の行為は僕のレベルを向上させてくれているのでしょうか。それとも「高級時計を購入できる自分」のイメージをただ維持しているだけなのでしょうか。

太陽(与信限度額)に近づき過ぎて死ぬか、 海面(最低貯金残高)に到達して死ぬか。いずれにせよ見えているのは死なのですが。

 

ちなみにこないだ計算したらトータルで〇〇〇万円くらい損してました。

死にたお

原画

の中にはアニメーターという職業があります。

 

往々にして薄給/長時間残業などの過酷な労働環境が常態化している業種として語られることが多く、生半可な気持ちで就いてはならない職業の代表となってしまっています。スポットライトを当てた作品としては「SHIROBAKO」なんかが代表的ですね。(僕は見れていないのですが)

 

ひとまとめに「アニメーター」と言っても、担当する業務によってさらに細分化されます。作画監督であったり、動画編集者であったり、原画を担当する人であったり。

 

ここでいう原画とはアニメーションの元となる絵のことで…詳しい工程は省きますが、キャラクターの動作を細分化して一枚一枚の絵に落とし込むわけですね。当然、絵の歪みや乱れは許されず、次のシーンへのつなぎなんかも考慮して絵を書かないといけません。とても大変な作業です。

 

「最近のアニメキャラクターの顔はどれも同じだ」なんて批判をたまに目にしますが、これだけの労力をかけていることを考えればそれも止むなしじゃないかな、と思ったりします。

 

ところで、アニメならいざ知らず、現実世界で自分と全く同じ顔の人を見たことはあるでしょうか。

僕はあります。それも、つい最近の話です。

 

 


たつき監督を脅迫 | 京都市 職業不詳 岸本福太容疑者(21)

 

激似です。二度見しました。

髪型はかなり異なるんですが、眼鏡の形も顔のパーツも本当に瓜二つです。

 

「世の中には自分と同じ顔の人が3人いる。」とよく言われています。

調べてみたのですが「同じ顔が3人」には特に科学的な根拠はなく、「ドッペルゲンガー」の都市伝説と混同されて語られていることが多いようですね。

 

ドッペルゲンガーについては今更説明するまでもないでしょうが、自身の生き写しとなる幻霊で、見たものは死ぬ...と伝えられる都市伝説です。

まあ僕の場合、会ったこともないのにドッペルゲンガー側が社会的に死んだわけですが。

 

www.excite.co.jp

 

こんな研究もあります。

顔の特徴を決める遺伝子は限られている。

そのため、シャッフルしたトランプを引き続けばいつかは同じ札がそろうように-人類が生まれ続ければ、同じ顔の人間は誕生しえる。

当然民族的な偏りはあるが、母数が多い民族であれば「同じ顔」の期待値は3人よりも多くなるかもーというところでしょうか。

 

僕は日本人ですが、アジア系という括りで中国人や韓国人も含めて考えると、比較的母数は多い民族に属していると思っています。それでも同じ時代に、近い年ごろでそっくりさんが存在する...というのは中々の奇跡なんじゃないでしょうか。

ちょっとした感動、会ったこともないですが親近感すら覚えます。

 

にもかかわらず、奇跡の片割れはアニメーターさんへ殺害予告をして逮捕されてしまいました。(AV出演疑惑もあるらしくさらに情けない感じになっています)

僕はこのやるせなさをどうしたらいいのでしょうか。

 

いつか会えるかもしれない3人目のために、せめて自分は人の模範となるような行動をしないとな、と思い直した一日でした。

 

石全部溶かして水着ピックアップ一枚も引けなかったから(ピーーーーーーーーーーーー)に(ピーーーーーーーーーーーーーーーーー)しようかな俺も

蝋化

タリアに「ロザリア・ロンバルド」という人物がいます。 *ショッキングな関連画像が表示されるため、検索はおすすめしません。

 

彼女は1920年代に亡くなった2歳間近の女の子で、親の希望でミイラ化されて葬送されました。

彼女のミイラは特別な施術を施され、全身が蝋化した状態になっています。

そのため埋葬されて100年たった現在も生前の姿をほぼ保っており、その儚げな愛らしさ(ミイラ基準)、神秘性、ドラマ性から「世界一美しいミイラ」と言われて話題を集め続けています。

 

何がきっかけで知ったのかは忘れてしまいましたが(多分ナショジオかなんか)、知ったのは僕が高校生の頃でした。

「一度は見てみたいなあ」と思ったことを覚えています。

 

「一度は」

 

皆さんはこのフレーズを使った、感じたことはあるでしょうか。僕はあります。

「一度は見てみたいなあ」「一度やってみたいなあ」「一度会ってみたいなあ」 等々。

これまでの人生で数えきれないほど、「一度は〇〇」シリーズを積み重ねてきました。

 

 

 

そして、その大半を実行していません。

「一度は〇〇したい」のまま止まっています。

 

記憶に残っている最初の「一度〇〇」は上記のロザリアちゃんなのですが、自分は忘れっぽい性質なので、さかのぼればもっと古い「一度は」がたくさんあるのだと思います。

 

誰でも子供の頃に「早く大人になりたい!」と願ったことがあると思うのですが、御多分に漏れず僕もそうでした。

世の中、子供にはできず大人にはできることだらけ。大人になれば何でもできるし、やりたいことをやりたいだけやれるのだと思って「大人になったら一度は」を積み重ねてきました。

 

しかし、28歳になった今思うのですが、新しいことを始めるのには相当のパワーが必要になります。

旅行。友人関係。趣味。恋愛。仕事。

当たり前のことですが、大人になったいま「何でもできる」ということは、その「何か」を自分で選択し、やり始めなければなりません。

しかし、やり始めるまでのエネルギーが・・・ない。

何をするか選択するのが億劫になってしまう。 選んでみてつまらなかったらどうしよう。長続きしないのでは?だったらいつも通りでいいや。一度はやってみたいけど、機会が来たらでいいよね。

 

これが年を取ることなんだな、と痛感しています。

 

これは日常生活にもあてはまり、例えば僕は今日の午前中に仕事を終え、昼寝をして、15時に起きました。

 

15時。

これは何をするにも中途半端な時間です。遠出するには遅すぎるし、ビールを開けて一日を締めくくるのには早すぎる。

 

僕は何か新しいことをしたでしょうか?

ノーです。

しようとはしました。どこかに出かけようと思って車に乗って....

...何をするか決めるのが億劫になって車を降り、家に帰り、いつもやっているゲームをし、食事をとり、またゲームをして....今この文章を書いています。

 

子供の頃は新しいことを始めるとき、わくわくしていたはずなのですが...。

いつの間にかわくわくは消え、ある種の緊張感やパターンの予測、憂鬱さがそこを占めるようになって...

新しいことを始める頻度が減っていき...いつの間にか獲得していたルーティンに新規性が埋もれていく。

僕の場合そんなものが、冗談抜きで100個はあるんじゃないでしょうか。

 

この危機感/焦燥感は忘れないようにしたいと、最近思っています。

これを忘れず、できることから始めていって・・・(このブログもその一つ) 積もったものを一つづつ試して…30歳を迎えたタイミングでイタリアに行って、「一度は」の消化を締めくくりたいですね。

 

でないと僕は今の気力と体力を保つことはできず...老化していってしまうでしょうから。

 

とりあえずコロナが収まったらオランダや東南アジアに行きたいです。

一度は行ってみたいので。一度はやってみたいので。^o^